個人で会社を買うとは|個人M&A・スモールM&Aの基本

個人で会社を買う方法を知るには、まず言葉の整理から始めます。個人で会社を買うことは「個人M&A」と呼ばれ、法人ではなく個人が買い手になり、会社や事業を引き継ぐ取引です。まず、言葉の意味と、個人の買い手が現実に目にする価格帯を押さえましょう。

個人M&A・スモールM&Aの言葉の意味

  • 個人M&A:会社員や個人事業主などの個人が、会社や事業を買うこと
  • スモールM&A:明確な定義はありませんが、譲渡価格が数百万円〜数千万円ほどの、小さな規模のM&Aを指すのが一般的です

どちらも決まった定義はなく、使う人や場面で範囲が少し変わります。本記事では、個人が数百万円〜数千万円の会社・事業を買う場面を想定します。

個人が買う目的は、主に次の3つです。

目的読者の例買う理由
独立・起業会社員ゼロから始めるより、顧客や設備を引き継いで始めたい
副業会社員勤めを続けながら、小さな事業を持ちたい
事業の拡大個人事業主近い事業を買って、売上や顧客を増やしたい

目的によって、選ぶ案件の規模や、譲渡後に自分がどこまで関わるかが変わります。

個人の買い手が実際に見ている価格帯

M&Acompassが評価した累計122件(2026年9月時点)のうち、業種別の譲渡希望価格の中央値は次のとおりです。

業種評価件数譲渡希望価格の中央値
美容・理容10件300万円
教育サービス10件350万円
IT・Web・SaaS9件360万円
旅行業・宿泊施設6件500万円
不動産9件750万円
サービス業(消費者向け)5件750万円
小売業・EC10件1,100万円
飲食店・食品22件1,150万円
医療・介護6件1,875万円
建設・土木・工事5件3,000万円
サービス業(法人向け)6件4,143万円

※2026年9月時点・累計122件の評価に基づく。IT・Web・SaaSは「250万円以下」とだけ記載された1件を除く8件で集計。件数が少ない業種は中央値を出していません。

美容や教育、ITは300万円台、飲食や小売は1,000万円台、建設や法人向けサービスは数千万円が中心です。個人の買い手が主に見るのは、数百万円〜1,000万円台の案件です。ただし、価格が安いほど良い案件とは限りません。安さの理由(赤字、設備の古さ、売り手の事情)を確かめることが、後の段階で効いてきます。

株式譲渡と事業譲渡の違いをひとことで

会社を買う方法は、大きく2つに分かれます。

  • 株式譲渡:会社の株式を買い、会社ごと引き継ぐ方法。契約や許認可、従業員、負債も原則そのまま引き継ぎます
  • 事業譲渡:会社の中の事業(店舗、設備、顧客など)を選んで買う方法。契約や従業員は、相手の同意を得て個別に移します

個人事業主から買う場合は、株式がないため事業譲渡になります。どちらを選ぶかで、調査する範囲や契約書の内容が変わります。詳しい選び方は、この後の「最終契約からクロージングまで」で触れます。

個人M&Aの全体の流れと期間|8つの段階と3〜6か月の目安

個人で会社を買う流れは、大きく8つの段階に分けられます。先に全体像と「時間が延びやすい段階」を知っておくと、仕事や資金の予定を組みやすくなります。

8つの段階と目安の期間(一覧表)

段階買い手がやること主な相手目安の期間
1. 準備自己資金・買う条件・家族の同意を整理する自分・家族2〜4週間
2. 案件探しプラットフォームや支援機関で候補を探し、問い合わせるプラットフォーム・支援機関2週間〜2か月
3. 情報開示・トップ面談秘密保持契約を結び、資料を受け取り、売り手と会う売り手・仲介者2〜4週間
4. 意向表明・基本合意買う意思と条件を書面(意向表明書)で示し、基本合意を結ぶ売り手2〜4週間
5. デューデリジェンス(買収前の調査)財務・法務・労務などを調べる。不安があれば専門家に依頼する売り手・専門家2〜6週間
6. 最終契約調査の結果を反映して条件を詰め、契約書に署名する売り手・専門家2〜6週間
7. クロージング準備法定手続き、取引先・従業員への説明、資金の用意売り手・取引先・金融機関2〜8週間
8. 決済・譲渡完了代金を支払い、株式や事業を受け取る売り手1日〜数日

表の目安の期間は小規模案件の一般的な幅で、案件や相手の事情によって前後します。段階2と3は、気に入る案件が見つかるまで繰り返すこともあります。案件探しはタイミングやご縁の要素が強く、他の候補者との比較や競争もあるため、表の目安どおりに進むとは限りません。実際には、全体の中でこの段階に最も多くの時間がかかります。

実務では3〜6か月が多い

「4か月で終わる」といった固定の期間を見かけますが、実際には最初の相談から譲渡完了まで3〜6か月ほどかかるケースが多いです。短く終わるのは、売り手の資料が整っていて、条件の食い違いが少ない場合に限られます。

M&Acompassの実務の視点

個人の買い手が最初の相談から譲渡完了まで進んだケースでは、3〜6か月ほどが多いというのが実感です。実際に多くの時間がかかるのは、案件探しから意向表明書の提出までです。案件探しはタイミングやご縁の要素が強く、他の候補者との比較や競争の中で、買い手が自分で早めることはできません。そのため、ここは速さの問題とは切り離して考えています。一方、当初の想定より延びやすいのは、意向表明書を出した後の2か所、調査から最終契約までと、最終契約の後の決済準備です。この2か所で延びることを前提に、退職の時期や融資の申込み、自己資金を動かせない期間を見込んでおくと、途中で慌てずに済みます。

想定より延びやすいのは意向表明の後と契約の後

時間の長さと、想定より延びやすいかどうかは、分けて考える必要があります。案件探しから意向表明書の提出までは、絶対的な時間が最も多くかかる段階です。タイミングやご縁の要素が強く、他の候補者との比較や競争の中で、自分が早めたくても早められないからです。一方、当初の想定より延びやすいという観点では、意向表明書を出した後の次の2つです。

  • 意向表明の後〜最終契約まで:デューデリジェンスで新しい事実(未払いの費用、契約の抜け、帳簿との食い違いなど)が出ると、価格や条件の交渉がやり直しになります。その後の最終契約の文言をめぐる交渉にも、想定以上の時間がかかることがあります。
  • 最終契約〜クロージングまで:契約の内容によっては、決済までに済ませておく手続きが多くなります。株式譲渡の承認や事業譲渡に必要な社内の決議などの法定手続きに加え、取引先や従業員への説明回りも含まれます。相手の都合で日程が決まるため、買い手だけでは早められません。

対策は、延びる段階を初めから予定に組み込むことです。たとえば、会社員なら退職日を最終契約の後に決める、融資は決済の目安日に余裕を持たせて申し込む、といった形です。急いで決めるより、延びる前提で進めたほうが、結果として条件の見落としも減らせます。

案件を探す前の準備|自己資金・買う条件・家族の同意

案件を見始める前に整えておくことが4つあります。資金の全体像、買う条件、家族と勤務先の確認、そして売り手に見せる自己紹介です。どれも後からでも用意できますが、先に整えた人ほど交渉が早く進みます。

自己資金と費用の全体像をつかむ

会社を買う費用は譲渡価格だけではありません。価格以外にかかる費用を先に把握し、自己資金でまかなえる範囲を決めておきます。

費用の種類内容
譲渡価格株式または事業の対価。融資と自己資金を組み合わせることが多い
手数料プラットフォームや仲介者に支払う費用
専門家費用デューデリジェンス(買収前の調査)や契約書の確認を頼む費用
手続き費用登記や許認可の申請などにかかる費用
運転資金取得後の仕入れ・給与・家賃など、売上が入るまでの資金
生活費引継ぎ期間中に収入が減る場合の備え

融資を使う場合も、金融機関は自己資金の額や経歴を見ます。また、個人が会社を買って融資を受けるときは、経営者本人の保証を求められることがあります。費用の内訳と使える制度は、この記事の後半「個人M&Aにかかる費用と使える支援制度の概要」で整理します。

買う条件を紙に書き出す

条件を言葉にしておくと、案件を見たときに迷いが減ります。次の5点を紙に書き出してみてください。

  • 業種:自分の経験が生きる分野か、未経験でも引き継げる分野か
  • 地域:通える範囲か、転居してもよいか
  • 価格:譲渡価格の上限と、価格以外の費用を含めた総額の上限
  • 関わり方:自分が現場に立つか、経営に専念するか、副業として関わるか
  • 引継ぎ期間:売り手にどのくらいの期間、残ってもらいたいか

価格の上限を考えるときは、安い案件ほどよいわけではない点に注意が必要です。0円で譲渡される案件の背景と見極め方は、0円で会社を買う方法|0円譲渡の実態と見極め方で詳しく説明しています。

家族の同意と勤務先の確認

個人M&Aでは、家計の資金を使い、働き方が変わります。資金の額、時間の使い方、転居の可能性を家族に話し、同意を得ておきましょう。交渉が進んでから家族の反対で止まると、売り手にも迷惑がかかります。

会社員の場合は、勤務先の就業規則も確認します。副業や兼業を制限している会社は少なくなく、買った会社の役員に就くことが兼業に当たる場合もあります。先に確認しておけば、取得後の働き方を現実的に決められます。

準備不足の買い手は交渉の席に着けない

準備が足りないと交渉が途中で止まる、と思われがちですが、実態は少し違います。

M&Acompassの実務の視点

準備不足で交渉が止まった例は、実はあまりありません。売り手は複数の候補者を比べています。資金の裏付けや買う理由があいまいな買い手は、優先順位の低い候補として整理され、交渉のテーブルに着く前に外れていくのが実態です。断られた理由を聞けないまま、次の案件でも同じことが繰り返されます。

だからこそ、売り手に見せられる自己紹介資料を先に用意しておきます。内容は、経歴、用意できる資金、なぜこの事業を買いたいかの3点で十分です。A4で1〜2枚にまとめ、案件ごとに「なぜ買いたいか」の部分を書き換えて使います。

案件の探し方|プラットフォーム・支援機関・直接の声かけ

準備が整ったら、案件を探す段階に入ります。個人の買い手が使える探し方は、大きく4つです。それぞれ案件の数や情報の整い方が違うため、特徴を知ったうえで組み合わせるのが現実的です。

探し方の種類と特徴

探し方特徴向いている人
M&Aプラットフォーム(マッチングサイト)案件数が多く、自分で検索して申し込める。売り手と直接やり取りする形が中心自分のペースで多くの案件を見たい人
事業承継・引継ぎ支援センター国が各都道府県に設けた公的な相談窓口。後継者を探す小さな会社の相談が集まる地元で小さな会社を探したい人
金融機関・会計事務所取引先の経営者から後継者不在の相談を受けていることがある。紹介は日頃の取引関係があってこそ地元の金融機関や税理士と付き合いがある人
知人の紹介・直接の声かけ業界や商圏をよく知る人からの紹介。競合する買い手が少ない一方、情報が整っていないことが多い特定の業界・地域に人脈がある人

プラットフォームの中には、買い手側に成約時の手数料がかかるものがあります。登録の前に料金の体系を確かめておきましょう。

後継者のいない会社の案件を絞り込む

どの探し方でも、小さな会社の案件は「後継者がいない」ことが譲渡の理由であるものが多くを占めます。この種の案件の特徴や注意点は、後継者のいない会社を買う方法|個人のメリット・デメリットと進め方で詳しく整理しています。

案件は数が多いため、前の見出しで整理した「買う条件」を基準に絞り込みます。目安になる軸は次の3つです。

  • 地域:通える範囲か、移住が前提か
  • 業種と規模:自分の経験が生きるか、従業員数は自分で見られる人数か
  • 価格:自己資金と融資の見込みで手が届くか

案件概要(ノンネーム)の読み方と秘密保持契約

公開されている案件情報は「ノンネーム」と呼ばれ、会社名が分からない範囲の概要です。業種、地域(地方や都道府県程度)、売上や利益のおおよその規模、譲渡希望価格、譲渡の理由が載るのが一般的です。

ノンネームを読むときは、数字だけでなく「譲渡の理由」と「売り手が希望する引継ぎの形」に目を向けてください。従業員の雇用を続けるか、売り手が引継ぎにどこまで関わるかは、価格と同じくらい取得後に効いてきます。

関心を持った案件には、秘密保持契約(NDA。知った情報を外に漏らさない約束)を結んだうえで、会社名や決算書などの詳細資料を受け取ります。交渉を見送った場合でも、受け取った情報は外に出せません。資料を家族や知人に気軽に見せないよう注意が必要です。

複数の案件を並行して見る

1件に絞って進めると、その案件の弱点が見えにくくなります。3〜5件ほどを並行して見比べると、価格や条件の相場感が身につき、1件に見送られても次に進めます。ただし、詳細資料を受け取った案件には期限内に返答するのが礼儀です。返事を放置すると、売り手や仲介者からの信頼を落とし、次の案件を紹介されにくくなります。

トップ面談から意向表明・基本合意まで|売り手に信頼される対応

書類で興味を持った案件は、売り手との面談に進みます。ここからは「数字」より「人」が見られる段階です。売り手は、価格だけでなく「誰に託すか」で相手を選びます。

トップ面談で確かめること

トップ面談は、書類では分からないことを売り手本人から聞く場です。質問は事前に整理し、次の3点を軸にします。

  • なぜ譲るのか:引退、健康、後継者不在など理由によって急ぎ度や条件が変わります
  • 事業の強みと弱み:売上の柱、主な顧客、売り手が抜けると困る業務は何か
  • 引継ぎの希望:売り手が残れる期間、従業員や取引先への説明の進め方

面談は売り手も買い手を見極める場です。自分の経歴や、なぜこの事業に関心を持ったのかを率直に話せるよう準備しておきます。

意向表明書と基本合意書の役割

面談を経て前向きに進めたいときは、意向表明書を出します。買う意思と希望条件(価格、譲渡の形、引継ぎ期間など)を書面で示すものです。意向表明書は原則として法的な拘束力を持たず、売り手が候補を絞るための材料になります。

売り手が受け入れると、基本合意書を結びます。主な条件を確認し、一定期間は他の買い手と交渉しない独占交渉権や、DD(買収前の調査)への協力を定めます。価格などは最終契約で変わりうるため、拘束力は秘密保持や独占交渉など一部の条項に限るのが一般的です。

書面役割主な記載
意向表明書買う意思と条件を示す希望価格、譲渡の形、引継ぎの希望、資金の見込み
基本合意書条件の大枠を固め、DDに進む独占交渉権、秘密保持、DDへの協力、今後の日程

売り手の信頼を失う言動・評価される姿勢

売り手の信用を失いやすいのは、売り手へのリスペクトがない買い手です。とくに「買ってあげる」という姿勢や言葉は、売り手の印象を大きく損ないます。欠点の指摘から入る、値下げの話を先にする、といった進め方も同じ受け止め方をされます。

逆に評価されるのは、事業への強い関心と深い理解、そして売り手へのリスペクトを示す買い手です。事業の仕組みを具体的に質問し、売り手が築いてきたものに敬意を持って向き合う姿勢が信頼につながります。

M&Acompassの実務の視点

リスペクトは「態度の技術」ではなく、関心の深さから自然に生まれるものです。事業への関心が高ければ、その事業を作り上げてきた代表やオーナーへの敬意も自然に生まれます。リスペクトが感じられない買い手は、結局「関心が薄い」「本気ではない」と売り手に見抜かれます。面談の前に、その事業のどこに惹かれ、何を引き継ぎたいのかを自分の言葉で説明できるようにしておくことが、最も確実な対策です。

価格は根拠をもって提示する

意向表明書の価格は、「安く買いたい」気持ちだけで決めないことが大切です。利益の何倍で見るか、純資産をどう扱うかなど、根拠を示して提示すれば売り手も納得しやすくなります。小さな会社の価格の見方と交渉の進め方は、M&Aの相場は利益の何倍?年買法と小さな会社の価格の見方・交渉で詳しく整理しています。根拠のある価格は、後のDDや最終契約で条件を調整するときの土台にもなります。

デューデリジェンス(買収前の調査)|個人の買い手が確認する考え方

DDとは何か・小規模案件での実情

デューデリジェンス(DD)とは、買う前に対象の会社や事業の中身を調べることです。財務・税務・法務・労務・ビジネスなどの面から、聞いていた話と実態にずれがないかを確かめます。

本格的なDDは公認会計士や弁護士などの専門家に頼むのが通常で、費用は調べる範囲によって数十万円からかかります。譲渡価格が数百万円の案件では費用が重く感じられ、個人の買い手は省略しがちです。種類や費用の詳しい内訳は個人M&AにDDは必要かを整理した記事にまとめています。

リカバリーできないリスクを探す

「最低限ここだけ見ればよい」という共通の項目を1つ2つに絞ることは、実は難しいです。業種や契約の形によって、重要な点が変わるからです。

代わりに持っておきたいのが、「取得後に取り返しのつかないリスクがあるか」を探す考え方です。たとえば次のようなものです。

  • 事業に必要な許認可や契約が、譲渡後に引き継げないおそれ
  • 売上の大半を占める取引先が、代表の交代で離れるおそれ
  • 事業規模に対して大きすぎる負債や保証

こうした「後から直せない」事項を優先して確かめると、限られた時間と費用を使いどころに集中できます。

簿外債務は金額と影響で判断する

簿外債務とは、帳簿に載っていない債務のことです。未払いの残業代や、他社の借入の保証などが代表例で、「気をつけるべき」とよくいわれます。

ただし、簿外債務があれば即ダメ、というわけではありません。極端な話、金額が10円なら実質的にリスクとはいえません。大切なのは、見つけた事項を「金額」と「事業への影響」の2つで測り、許容できるかどうかを判断することです。

架空の例

小さな飲食店の取得を検討した個人の買い手が、未払いの残業代が数か月分あることに気づきました。金額を見積もると譲渡価格の1割ほどで、精算を売り手に求めるか価格に反映すれば吸収できる範囲でした。一方、店舗の賃貸契約が譲渡を認めない内容だった場合は、金額に関係なく事業そのものが続けられません。同じ「問題」でも、後者を優先して確認する必要があります。

不安があれば専門家に依頼する

M&A実行後に「予想外」の大きな出来事が起きる可能性を、限りなくゼロに近づけておくこと。これがM&Aを成功させる秘訣だと、M&Acompassは考えています。自分で見る範囲と、専門家に任せる範囲の分け方の目安は次のとおりです。

自分で確認しやすいこと専門家に任せたいこと
店舗や設備の状態、現場の雰囲気決算書と申告内容の整合性
主要な取引先や顧客との関係契約書や許認可の法的な引き継ぎ
従業員の人数・役割・残る意思未払賃金や社会保険の扱い

M&Acompassの実務の視点

個人の買い手の相談を受けていて感じるのは、「DDを省くか・全部やるか」の二択で悩む人が多いことです。実務では、自分で見て不安が残った点だけを専門家に絞って依頼する、という両者の間をとる選択肢があります。少しでも不安があれば、まずは相談して、調べる範囲と費用の見積もりを取ることを勧めます。価格の大小にかかわらず、取得後に「予想外」の大きな出来事が起きる可能性を限りなく減らしておくことが、M&Aを成功させる秘訣だからです。

税金や法律に関わる判断は個別の事情で変わりますので、最終的には税理士や弁護士などの専門家に確認してください。

最終契約からクロージングまで|契約書と決済前の手続き

デューデリジェンスで大きな問題がなければ、最終契約書の交渉に進みます。株式譲渡なら株式譲渡契約書、事業譲渡なら事業譲渡契約書を結びます。契約を結んだあとも、決済(クロージング)までにやるべき手続きが残ります。ここでは契約書の中身と、決済までの段取りを整理します。

最終契約書の主な項目

項目内容個人の買い手が見る点
譲渡価格と支払方法金額、支払日、分割や価格調整の有無決済日までに資金を用意できるか
表明保証売り手が「決算書は正しい」「隠れた債務はない」などを約束する条項調査で不安だった点が条項に入っているか
引継ぎ前経営者が手伝う期間と内容、報酬の有無期間が短すぎないか
競業避止売り手が同じ事業を近くで始めないという約束期間と地域が具体的に決まっているか
前提条件決済までに満たすべき条件(承認、許認可など)誰がいつまでに行うか

表明保証(ひょうめいほしょう)とは、売り手が契約時点の会社の状態を約束する条項です。約束と違えば、損害の補償を求める根拠になります。事業譲渡では、売り手に法律上の競業避止義務が定められています。ただし、期間や地域は契約書で具体的に定めておくほうが安全です。契約書の種類と流れは個人M&Aで必要な契約書の解説にまとめています。

決済までに済ませる手続き

  • 株式譲渡:譲渡制限のある会社では、取締役会や株主総会の承認が必要です。
  • 事業譲渡:売り手側で株主総会の決議が必要になる場合があります。
  • 許認可:事業譲渡では、買い手が許認可を取り直す必要があることがあります。
  • 取引先・従業員への説明:契約の移転や雇用の継続について、売り手と一緒に説明に回ります。
  • 融資の実行:融資を使う場合は、契約書を金融機関に出し、決済日に合わせて実行の手続きをします。

リスクは、契約の条件によって、これらの準備に想定以上の時間がかかることです。対策として、契約時に「誰が・何を・いつまでに」を決め、前提条件として契約書に書いておきます。期限を過ぎたときの扱い(延長か解除か)も決めておくと安心です。

決済当日に行うこと

  • 買い手が譲渡代金を振り込み、売り手が着金を確認する
  • 株式譲渡では、株券(発行している場合)や株主名簿の書換え請求に必要な書類を受け取る
  • 会社の実印・銀行印、通帳、契約書類、鍵などを引き渡す
  • 役員変更の登記に必要な書類(辞任届など)を受け取る

決済当日は、引渡し物の一覧を事前に作り、双方で確認しながら進めると漏れを防げます。登記や名義変更は決済後に期限があるものもあるため、司法書士などに依頼する範囲を先に決めておきます。

譲渡後の引継ぎ|取得後の運営イメージを5つの観点で具体化する

決済が終わっても、その日から事業が自分のものとして回り始めるわけではありません。前オーナーから引き継ぐ期間と、その後の運営をどれだけ具体的に描けているかで、譲渡後の安定度は大きく変わります。

引継ぎ期間と前オーナーの関わり方

引継ぎの条件は、最終契約の中か、別の覚書で決めておきます。小規模案件では、数週間から数か月の引継ぎ期間を設け、前オーナーに顧問や業務委託の形で関わってもらうことがあります。決めておきたい点は次のとおりです。

  • 期間と頻度:何か月、週に何日来てもらうか
  • 役割:顧客・仕入先への同行、作業手順の説明、従業員への橋渡し
  • 報酬:無償か有償か、譲渡価格に含めるか別に払うか
  • 従業員への説明:決済の前に伝えるか直後に伝えるか、誰の口から伝えるか
  • 取引先への挨拶:回る順番と、前オーナーが同行する範囲

従業員と取引先は、「オーナーが変わっても大丈夫か」を見ています。前オーナーが隣にいて紹介してくれる期間は、信頼を引き継ぐための時間だと考えてください。期間が短すぎると関係が途切れ、長すぎると判断の主導権が移りません。期間の終わりを明確にしたうえで、必要なら延長できる形にしておくと安心です。

「買いたい」が先行すると想定外が増える

「流れどおりに進めれば買える」という考え方には、落とし穴があります。流れはあくまで手続きの型であり、その中身を埋めるのは「取得後にどう運営するか」のイメージです。ここが薄いまま進むと、契約はできても、譲渡後に想定外が次々と出てきます。

M&Acompassの実務の視点

譲渡後の引継ぎで想定外が起きるケースに共通するのは、「買いたい」気持ちが先行し、取得後の事業運営のイメージの解像度が不十分なまま実行してしまうことです。どれだけ詳細かつ具体的に取得後の運営を描けるかが、M&Aの過程全体で最も重要だと考えています。解像度を上げるには、「財務」「税務」「法務」「労務」「ビジネス」の5つの観点から落とし込むことが必要です。この落とし込みが深いほど、誤解や想定外を減らせます。

5つの観点で運営イメージを書き出す

5つの観点ごとに、取得後1年の運営を自分の言葉で書き出してみてください。表は書き出す内容の例です。

観点書き出す内容の例
財務月ごとの売上・固定費・資金繰り、借入の返済後に手元に残る額
税務決算・申告の時期、誰に依頼するか、前オーナーの税理士を引き継ぐか
法務店舗や設備の賃貸借契約の更新時期、許認可の名義、主要な取引契約の内容
労務従業員の雇用条件、就業規則や勤怠管理の有無、引継ぎ後の勤務体制
ビジネス顧客が選ぶ理由、前オーナー個人に付いている売上、自分が変えること・変えないこと

一度で埋め切る必要はありません。面談で聞いた話、開示された資料、デューデリジェンスで分かった事実を、その都度この表に書き足していきます。書けない欄が残っていれば、それが次の面談で聞くべき質問であり、調査で確かめる項目です。税務や法務の欄で判断に迷う点は、一般的な説明にとどめず、税理士や弁護士に個別に相談してください。

個人M&Aにかかる費用と使える支援制度の概要

価格以外の費用を見落とすと、決済の直前に資金が足りなくなることがあります。ここでは費用の種類と、使える支援制度の名前を整理します。

価格以外にかかる費用の種類

  • プラットフォームの買い手手数料:無料のサービスもあるため、登録する前に料金表で確かめます。
  • 専門家費用:デューデリジェンスや契約書の確認を公認会計士・弁護士に頼むと、範囲により数十万円からかかります。
  • 登記・契約の費用:買い手が代表者になるときの役員変更登記には登録免許税がかかります。契約書には印紙税が必要になることがあります。
  • 税金:事業譲渡では、譲り受ける資産に消費税がかかる場合があります。不動産を含むときは、不動産取得税や登録免許税も見込んでおきます。

税金の扱いは、株式譲渡か事業譲渡か、資産の中身は何かで変わります。金額が大きいときは、契約前に税理士に確認してください。

融資・補助金の概要

自己資金だけで足りないときは、公的な支援制度が選択肢になります。代表的なものは次の2つです。

  • 日本政策金融公庫の融資:事業承継のための資金を対象にした融資制度があります。個人の買い手も申込みの対象になり得ますが、要件や金利は時点で変わります。
  • 事業承継・M&A補助金(旧・事業承継・引継ぎ補助金):M&Aにかかる専門家費用などの一部を補助する国の制度です。公募の期間と対象経費は公募回ごとに変わるため、申請前に最新の公募要領で確かめます。

経営者保証については前の見出しで触れたとおりです。保証を負うリスクに備え、返済が事業の利益で回るかを、取得後の運営イメージとあわせて確かめておきます。制度の細かな要件は変わりやすいので、申込みの前に公式ページと支援機関で最新の内容を確認してください。

参考にした資料