個人M&Aの失敗はどの段階で起きるのか
3つの段階で起きる典型的な失敗
個人M&Aの失敗は、起きる段階で分けると整理しやすくなります。この記事では「案件選び」「交渉・契約」「引継ぎ後」の3つに分けて考えます。段階ごとに原因も防ぎ方も違うからです。
| 段階 | 典型的な失敗例 | この記事で扱う見出し |
|---|---|---|
| 案件選び | 良い案件が見つからず諦める/属人的な事業を買ってしまう | 2 |
| 交渉・契約 | 従業員の離職・取引先の離反/交渉が延びる・こじれる | 3・5 |
| 引継ぎ後 | 簿外債務や未払いなどの「予想外」 | 4 |
全体の流れをまだ押さえていない方は、個人で会社を買う方法(流れ・期間・準備の整理)を先に読むと、各段階の位置づけが分かります。
最も多いつまずきは「案件が見つからず諦める」
意外に思われるかもしれませんが、実際に最もつまずきやすいのは案件選びの段階です。失敗事例として語られるのは買った後の話が多いものの、その手前で止まってしまう人が少なくありません。
案件探しは相手のあることです。売り手が売りたいと思う時期や条件は、買い手の都合では動かせません。行動量を増やせば出会う確率は上がるかもしれませんが、どれだけ動けばどれだけ上がるかは誰にも分かりません。「ご縁」という不明瞭な要素が大きいのです。
その結果、「なかなか良い案件が出てこない」と感じたまま、M&Aそのものを諦めてしまう方がいます。案件探しとはそういうものだ、という心構えをあらかじめ持っておくことが、最初の失敗を防ぐ第一歩になります。
理想ではなく及第点の案件を探す考え方
もう一つ知っておきたいのは、理想的な案件ほど競合する候補者も多くなりやすい、という事実です。理想の案件に出会う確率はもともと低く、出会えたとしても他の買い手との比較や競争にさらされます。
M&Acompassの実務の視点
M&Acompassでは、理想の案件を探すのではなく「及第点の案件」を探すことを勧めています。すべての条件を満たす相手を待つより、取得後に自分で改善できる余地(ブラッシュアップ)や、弱点を補う手当(リカバリー)を想定して進めたほうが、成約にたどり着く可能性は高まります。「買ってから整える」を前提に案件を見る視点が、案件選びの段階での最も有効な防ぎ方です。
もちろん、及第点でよいからといって、何でも買ってよいわけではありません。次の見出しからは、及第点かどうかを判断するときに見落としやすい、段階ごとの具体的な失敗例を見ていきます。
案件選びの失敗例:属人的な事業を買ってしまう
属人的な事業はなぜ失敗しやすいのか
属人的な事業とは、売上がオーナーの人柄・技術・人脈に依存している状態の事業です。たとえば、常連客が店主に会いに来ている店や、技術を持つのがオーナー一人だけの工房がこれにあたります。取引先との関係がオーナー個人との付き合いで成り立っている会社も同じです。
こうした事業は、オーナーが抜けた瞬間に、売上の土台そのものが揺らぎます。「属人的な事業」と整理した時点で、キーパーソンがいなくなる影響は大きい、と考えて判断するのが出発点です。影響が小さいかもしれない、と期待して買うと、取得後に取り返しがつきません。
見極めより「キーパーソンが残るか」を判断する
個人の買い手がよく考えるのは、「取得後に売上や取引先が離れないか」を見極めることです。しかし、この見極め自体にはあまり意味がありません。キーパーソンが離れれば売上や取引先への影響は避けられず、どれほどの影響が出るかは交渉中には誰も知り得ないからです。
判断すべき点は、次の3つに絞られます。
- キーパーソン(オーナーや中心の技術者)が取得後も事業運営に留まるか
- 留まらない場合、引継ぎや顧客紹介などの協力・サポートを約束してもらえるか
- どちらも難しい場合、代わりの手当(後任の確保、技術の文書化など)を見つけられるか
3つのどれも成り立たないなら、その事業を買うこと自体を見送る判断が必要です。
M&Acompassの実務の視点
M&Acompassは、属人的な事業を取得すること自体にリスクを感じています。それでも買うなら、キーパーソンがいなくなった事業をどうするかを考えるより、キーパーソンがいなくならないか、代わりの手当があるかを先に判断すべきです。「離れないかを見極める」のではなく、「離れない状態を取り決めでつくる」のが実務の考え方です。
引継ぎ期間や協力の取り決め方
取り決めは、口約束で済ませず、最終契約や別の契約(顧問契約など)に書面で残します。リスクと対策を整理すると次のとおりです。
| リスク | 対策 |
|---|---|
| オーナーが引継ぎ前に離れる | 残留の期間と役割を契約に明記する |
| 顧客・取引先に後任を紹介してもらえない | 同行訪問や紹介の内容・回数を取り決める |
| 技術やノウハウが頭の中にしかない | 引継ぎ期間中に手順書や顧客台帳を整備してもらう |
| 退任後に同じ商圏で同業を始める | 競業避止(同業を始めない約束)を契約に入れる |
架空の例
常連客が店主目当ての小さな店を買うケースです。残留の取り決めをしなかった買い手は、引渡し翌月に店主が姿を見せなくなり、常連客が次々と離れました。一方、店主が週数日の勤務で一定期間残り、常連客に後任を紹介する取り決めを契約に入れた買い手は、客足の落ち込みを抑えながら自分の色を出していけました。
取り決めがあっても、キーパーソンが約束どおり動かない可能性はゼロにはなりません。だからこそ、残留・協力・代わりの手当の3つを重ねて用意しておくことが、案件選びの段階でできる最も確かな備えです。
交渉・契約前の失敗例:従業員の離職と取引先の離反
買った直後に現場の中心だった従業員が辞めた、主要な取引先から「取引を見直したい」と言われた。個人の買い手が交渉・契約前の備えを欠いたときに起きやすい失敗です。防ぎ方の要点は、全員に同じ対応をするのではなく、メリハリをつけて確認と取り決めをしておくことです。
離職・離反は「起きるもの」として備える
従業員には職業を選ぶ自由があり、取引先にも相手を選ぶ自由があります。オーナーが代わる以上、離職や離反は一定程度起きうるものとして備えるのが出発点です。「起きないはず」と考えて進めると、起きたときに打つ手がありません。
一方で、従業員と取引先の全員・全社に同じ手厚い対応をするのは現実的ではありません。人数や社数が多いほど手が回らず、肝心なところが抜けてしまうからです。
キーパーソンと主要取引先を特定して重点対応する
対応の優先順位をつけるために、まず次の二つを特定します。
- 事業運営上のキーパーソン:現場を回している人、顧客との関係を握っている人、必要な資格を持つ人
- 主要取引先:売上や仕入れの大きな割合を占める相手、代わりが見つけにくい相手
そのうえで、譲渡実行前から勤務の継続や取引の継続を確約してもらうことを目指します。従業員本人の退職を契約で縛ることはできませんが、本人の意向を直接確かめ、売り手に橋渡しを頼むことはできます。確約は口頭で済ませず、本人と直接、何かしらの書面で残すと後の行き違いを減らせます。
| 対象 | 確認すること | 取り決めの例 |
|---|---|---|
| キーパーソン | 残る意向があるか、待遇や役割の希望 | 残留の意向確認、譲渡後の役割の合意 |
| 主要取引先 | 関係がオーナー個人か会社か、契約の更新時期 | 売り手同席での挨拶、取引継続の意向確認 |
| 売り手 | 誰を重要とみているか、伝え方の希望 | 引継ぎ期間と協力の内容 |
トップ面談・最終契約で取り決めておくこと
トップ面談では、売り手自身が「誰が抜けると困るか」「どの取引先が特に重要か」をどう見ているかを聞きます。あわせて、譲渡の事実をいつ・誰に・どの順で伝えるかも早めにすり合わせます。伝える順番を誤ると、不安から離職や離反を招くことがあります。
最終契約では、次のような条項で備えます。
- 表明保証:売り手が開示した従業員や取引先の状況が正しいことを約束する条項
- 決済前にキーパーソンの退職や主要取引先の離反が生じた場合の価格の見直しや解除の扱い
- 売り手の引継ぎ期間と、取引先への紹介や同行などの協力義務
なお、事業譲渡の形で買う場合、従業員は個別の同意がないと移らないため、同意の取得も契約前に見通しておきます。意向表明から最終契約までにどの書面で何を決めるかは、個人M&Aで必要な契約書の流れをまとめた記事で確認してください。キーパーソンと主要取引先に絞って確約を取り、契約に落とし込むことが、この失敗を防ぐ要点です。
引継ぎ後の失敗例:簿外債務や未払いなどの「予想外」
予想外が見つかる典型的なパターン
引継ぎが終わったあとに、取得前には知らなかった負担が出てくる失敗です。代表的なものは次の3つです。
- 簿外債務(ぼがいさいむ):帳簿に載っていない借入や保証、取引先への未払いなど
- 未払い残業代:従業員に本来支払うべき残業代が、取得後にさかのぼって請求されるもの
- 未納の税や社会保険料:会社が納めていなかった税金や保険料が、取得後も会社の負担として残るもの
どこまで引き継ぐかは、買い方によって変わります。
| 買い方 | 引き継ぐ債務の範囲 |
|---|---|
| 株式譲渡(会社を丸ごと買う) | 帳簿に載っていない債務も、会社の中に残ったまま引き継ぐ |
| 事業譲渡(事業の一部や全部を買う) | 契約で決めた資産・負債だけを引き継ぐ |
株式譲渡では簿外債務が残りやすく、事業譲渡では引き継ぐ範囲を契約で選べます。
原因の大半は事前調査の不足
予想外が見つかるパターンは単純です。取得前の調査が不十分だったり、甘かったりすることが原因の大半を占めます。裏を返せば、入念な事前調査によって「取得後の予想外」が起きる確率は下げられます。
ただし、ビジネスである以上、誰も全てを見通すことはできません。予想外を100%抑えることは不可能だという心構えも持っておくべきです。そのうえで、最終契約に表明保証(売り手が開示内容の正しさを約束する条項)を置き、万一のときの備えにします。
DDの範囲は価格ではなく「取り返しがつくか」で決める
デューデリジェンス(DD。買収前の調査)は、任意の実施項目です。やらなければならない決まりはありません。それでも必要になるのは、売り手と同じかそれ以上に対象の会社・事業を理解していないと、正しい判断と評価ができないからです。その理解を補うために、専門家へ専門的な調査を依頼するのがDDの位置づけです。
個人の買い手がよく誤解するのは、「価格が小さいからDDは省いてよい」という考え方です。DDを行うかどうか、どこまで調べるかは、譲渡価格の大小で決めません。基準は、取得後に取り返しのつかない予想外が残っていないか、です。種類や費用の目安は、個人M&Aにデューデリジェンス(DD)は必要? 種類・費用・期間まで解説にまとめています。
M&Acompassの実務の視点
自分だけで帳簿を読み込んでも、売り手と同じ理解には届きません。そこでM&Acompassでは、自分で調べて分かったことと分からなかった論点を整理し、分からなかった論点について専門家に調査を依頼する進め方を勧めています。全部を自分で調べようとするより、自分では判断できない点を専門家に見てもらうほうが、予想外の確率は下がります。小さな案件ほど省略してよい、とは考えません。
交渉が延びる・こじれる失敗例と防ぎ方
意向表明の後・最終契約の後に起きること
意向表明書(買う意思と希望する条件を売り手に示す書面)を出した後は、調査や契約の準備が本格化します。この段階は当初の想定より延びやすく、途中で話がこじれることもあります。案件探しの長さとは別の問題として捉えてください。
よくあるのは次のような場面です。
- 調査で分かったことを理由に条件を変えたいが、売り手に真意が伝わらない
- 最終契約の後、決済までの準備(引継ぎの段取りや資金の手当て)が進まない
- 返事が遅れ、売り手が「本当に買う気があるのか」と不安になる
意向表明書は法的拘束力を持たない形が一般的です。ただし、そこに書いた条件を後から軽く扱うと、売り手の信頼は一気に崩れます。
原因はコミュニケーション不足と情報の非対称性
M&Acompassでは、話が延びたりこじれたりする原因の多くは、コミュニケーションの不足と、売り手と買い手の情報の非対称性にあると考えています。売り手は事業を知り尽くし、買い手は限られた資料から判断します。その差を埋めないまま進むと、同じ言葉を違う意味で受け取り、すれ違いが生まれます。余程一方的な交渉をしない限り、こじれる原因はほぼコミュニケーションの不足です。
買い手側ができる対処
全ての考えや意向を相手にさらけ出す必要はありません。ただし、相手に誤解やミスリーディングを与えないよう、自分の考えや意向を丁寧かつ明確に伝えることが大切です。情報開示は売り手だけでなく、買い手の側も適切に行います。資金の目処や取得後の方針を伝えておくと、売り手も安心して判断できます。
買い手側にありがちな行動と対処を整理します。
| ありがちな行動 | 起きること | 対処 |
|---|---|---|
| 根拠を示さず値下げを求める | 売り手が不信感を持ち、交渉が止まる | 調査で分かった事実と計算の根拠を示す。価格の考え方はM&Aの相場は利益の何倍?年買法と小さな会社の価格の見方・交渉も参考にしてください |
| 返事を遅らせる | 売り手が他の候補に目を向ける | 回答の期限を自分から示す。すぐに答えられないときは、その旨と目安の時期を伝える |
| 条件変更の理由を伝えない | 「後出し」と受け取られる | 何を根拠に、何をどう変えたいかを文書で伝える |
延びること自体は失敗ではありません。失敗になるのは、延びている理由を相手と共有しないまま、時間だけが過ぎることです。
失敗を防ぐための段階別チェックリスト
ここまでの失敗例を、案件選び・交渉と契約前・引継ぎの3段階に分けて整理します。具体的な案件を見ながら、1つずつ確かめる道具として使ってください。
案件選び・交渉・引継ぎの3段階で確認すること
| 段階 | 確認すること | 確認の方法 |
|---|---|---|
| 案件選び | 理想ではなく及第点の案件か/取得後に自分で補える点はどこか | 自分の条件を「譲れない点」と「取得後に補える点」に分けて書き出す |
| 案件選び(属人性) | 売上や技術がオーナー個人に頼っていないか/キーパーソンは残るか、代わりの手当があるか | トップ面談でキーパーソンの今後の関わり方を直接聞く |
| 交渉・契約前 | キーパーソンと主要な取引先を特定できているか/継続の確約を得たか | 重点先を絞り、譲渡実行前に継続の意思を確認して文書に残す |
| DD(買収前の調査) | 取り返しのつかない予想外が残っていないか/自分で調べられない範囲はどこか | 自分では分からなかった論点を整理し、DDの実施前までに専門家に依頼する範囲を決める |
| 最終契約締結前 | 自分の意向を明確に伝えたか/必要な情報を開示したか/返答の期限を共有したか | 論点と期限を書面で共有し、返答を待つ間も連絡を絶やさない |
| 引継ぎ | 引継ぎの期間と協力の内容を決めたか/契約の条項で予想外に備えたか | 最終契約に引継ぎの期間・内容と売り手の協力を書き込む |
表の項目がすべて埋まらない案件もあります。その場合は、埋まらない項目を「取得後に自分で補えるか」「補えないなら見送るか」で判断します。全部を自分で確かめようとせず、自分では分からなかった論点を整理し、専門家に任せる範囲をDDの実施前までに決めておくと、調査の抜けと費用の膨らみを同時に防げます。
チェックリストを使うときの注意
- 項目を埋めること自体を目的にしないようにします。キーパーソンや主要取引先のように、1つ欠けると事業が成り立たない項目から先に確かめます。
- 確認した内容は口頭で終わらせず、意向表明書や最終契約に反映します。
- 取得後の予想外をゼロにはできません。残った不安は、価格や引継ぎ条件の交渉で埋めるという考え方も持っておきます。
参考にした資料
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)-第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-」(時点:令和6年8月)
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)参考資料1 中小M&Aの主な手法と特徴」(時点:令和6年8月)
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン 参考資料7 各種契約書等サンプル」(経済産業省・中小企業庁・時点:令和5年9月)
- 厚生労働省「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針」パンフレット(時点:平成28年9月1日適用)
- 事業譲渡等指針リーフレット(事業譲渡及び合併は、それぞれ組織変動の一類型に…)(厚生労働省 青森労働局・時点:平成30年12月作成)
- 厚生労働省「未払賃金が請求できる期間などが延長されています」(リーフレット)(時点:2020年4月(令和2年4月1日施行の改正労働基準法に基づく))
- 厚生労働省「賃金等請求権の消滅時効の在り方について(報告)」(厚生労働省(労働政策審議会労働条件分科会))
- 中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第2版)」(株式譲渡は法人格に変動がなく簿外債務・偶発債務を引き継ぐ旨の記載)(中小企業庁(事業承継・引継ぎ支援センター掲載)・時点:令和5年9月)