小さな会社・個人事業は本当に売れるのか

結論から言えば、年商数千万円以下の会社や個人事業でも売れます。ただし「どんな事業でも売れる」わけではなく、買い手の目で見て引き継ぐ価値があるかどうかで決まります。まず、売却の対象になる条件と、実際に小さな案件が取引されている事実を確かめましょう。

売却の対象になる会社・事業の条件

買い手が「自分が引き継いで利益を出せる」と判断できることが、売れるかどうかの分かれ目です。利益が小さくても、次のいずれかに価値があれば売却の対象になります。

価値のもと買い手が見るところ
利益役員報酬を調整したあとでも、継続して利益が残るか
顧客固定客や継続契約があり、経営者が変わっても離れにくいか
従業員現場を回せる人が残り、引き継ぎ後も運営できるか
契約・許認可店舗の賃貸契約や取引契約、許認可を引き継げるか

逆に、売上のほとんどが経営者個人の人脈や技術に頼っている場合は、引き継いだ瞬間に価値が消えると見られやすくなります。この場合も、引き継ぎ期間を設けて顧客や技術を移す計画を示せば、売却の対象になることがあります。

小規模な案件は実際に取引されている

「小さすぎて買い手がいないのでは」と心配する売り手は多いです。しかし、M&Acompassがこれまでに評価した案件は累計122件あり、その多くが小規模な案件です。業種別に見ると、掲載された譲渡希望価格の中央値は、美容・理容が300万円、教育サービスが350万円、IT・Web・SaaSが360万円、飲食店・食品が1,150万円です。数百万円から一千万円台の案件が、市場に継続して出ていることが分かります。

これらは譲渡希望価格の中央値であり、成約した価格ではありません。ただ、個人の買い手が手の届く価格帯の案件が、実際に売り手によって出され、買い手に見られていることの目安にはなります。

「売れるはず」が外れる典型的なパターン

売り手から最初に相談を受けたとき、「売れると思っているが、実際は難しい」と感じるのは、次の2つのパターンです。

  • 相場を知らずに感覚で希望価格を決めている:評価の方法を調べないまま、「これくらいは欲しい」という感覚で価格を置いているケースです。
  • 実現できるか分からない成長機会まで価格に織り込んでいる:相場や評価方法は知っているケースです。それでも「もっと資金があれば伸びる」「本当はこうしたいが、別の事業もあって手が回らない」と考えます。その理由で、まだ実現していない利益を価格に乗せてしまいます。

後者は、売り手本人には合理的に見えるため気づきにくいところです。しかし買い手の受け止め方はまったく違います。

M&Acompassの実務の視点

買い手は「それで利益が出るなら、売り手がやればよいはずだ」と考えます。やっていないなら「本当はできない」、あるいは「できても言っている通りの利益は出ない」と受け取り、案件そのものを敬遠します。成長の見込みを強く語るほど、かえって信頼を失うことがあるのです。

対策は、価値を2つに分けて考えることです。

  1. いまの数字で説明できる価値:直近の決算や帳簿で示せる利益・顧客・契約。これが価格の土台になります。
  2. 見込みの価値:資金や人手があれば伸びる可能性。これは価格ではなく、買い手に「伸びしろ」として伝える材料にとどめます。

見込みの価値を価格から切り離すと、買い手は安心して検討でき、結果として交渉の入口に立てる相手が増えます。価格の目安や希望価格の決め方は、後の見出しで詳しく説明します。

小さな会社を売るときの全体の流れ

小さな会社や個人事業の売却は、準備から引き継ぎまで大きく6つの段階で進みます。自分で相手を探す場合も、仲介会社に頼む場合も、段階そのものは変わりません。全体像を先に知っておくと、いま何をすべきかが見え、慌てずに進められます。

準備から引き継ぎまでの6つの段階

段階売り手がすること買い手がすること
1. 準備売る理由と方針を決める。会社・事業の情報を整理し、希望条件を考える予算と探す条件を決める
2. 相手探し探す方法を選び、案件の概要を伝える。秘密保持契約を結んでから詳しい情報を出す案件を探し、秘密保持契約を結んで資料を求める
3. 面談・条件交渉買い手と面談し、質問に答える。意向表明書を受け取り、条件をすり合わせる面談し、意向表明書を出し、基本合意を結ぶ
4. 調査求められた資料を出し、質問に答える財務・契約・労務などを詳しく調べる
5. 契約最終契約を結び、株式や事業を引き渡す最終契約を結び、代金を払う
6. 引き継ぎ従業員・取引先に紹介し、業務を教える業務と取引関係を引き継ぐ

表に出てくる用語を、初めての方向けに短く説明します。

  • 秘密保持契約(NDA):知った情報を外部に漏らさず、目的以外に使わないと約束する契約です。詳しい資料を渡す前に結びます。
  • 意向表明書:買い手が希望する価格や条件、進め方を書面で示すものです。買い手の本気度を測る材料になります。
  • 基本合意:価格や進め方などの主な条件を、調査の前に書面でまとめることです。多くは価格に法的な拘束力を持たせず、調査の結果で条件が変わることがあります。
  • デューデリジェンス(DD):買い手が会社の財務・契約・労務などを詳しく調べることです。
  • 最終契約:株式譲渡契約や事業譲渡契約など、譲渡の条件を最終的に定める契約です。

各段階で売り手がやること

売り手の仕事は、どの段階でも「情報を出す」ことと「判断する」ことの2つに集約されます。買い手は限られた情報から判断するため、求められた資料や質問への回答が遅れると、話全体が止まります。

期間の目安は案件によって大きく異なります。とくに相手が見つかるまでの期間は読みにくく、数週間で決まることも、長く待つこともあります。相手が決まったあとは、資料をどれだけ早く出せるかで調査と契約までの期間が変わります。

買い手が各段階で何を考え、どう動くかは、買い手向けの記事「個人M&Aで会社を買う流れ」にまとめています。売り手の流れと照らし合わせると、相手の次の一手が読め、交渉の準備がしやすくなります。

従業員・取引先にいつ伝えるか

従業員や取引先に売却を伝えるのは、譲渡が完了したあとが基本です。譲渡が完了する前、つまり譲渡が確定する前に従業員に話してしまうと、万が一譲渡が実行されなかったときに、従業員の間で無用な混乱や不安が生まれるおそれがあるためです。

従業員が少なければ情報を管理できるかもしれませんが、人数が多いほど情報が漏れるリスクも高まります。交渉の途中で、従業員からM&Aの事実が外部に漏れて問題になるのを防ぐという点からも、従業員に知らせるのは譲渡の完了後にすべきです。

一方で、経理担当者や運営のキーパーソンには、基本合意のあとから最終契約の前後にかけて伝えてもよい場合があります。特にキーパーソンには、譲渡後も会社や事業に残ってもらう必要があることが多いでしょう。慎重かつ丁寧に説明し、M&Aの意義や買い手への理解を深めてもらう時間をしっかり取ることが大切です。

途中で情報が漏れると、従業員の退職や取引先の離れにつながるリスクがあります。対策は次の3つです。

  • 詳しい情報は秘密保持契約を結んだ相手にだけ渡す。プラットフォームでは会社名が特定されない書き方で載せる
  • 社内で売却を知る人は、経理担当者や運営のキーパーソンなど最小限にとどめる
  • 伝えるときは、買い手が決まった事実と、雇用や取引の扱いをセットで説明する

なお、店舗の賃貸借契約や主要な取引先との契約には、譲渡に相手の承諾が要ると書かれていることがあります。該当する契約は準備の段階で洗い出し、最終契約の前に伝え方と順番を買い手と相談しておくと安心です。

売る前の準備:情報整理が時間とトラブルを一番減らす

売却を決めたあと、売り手が事前にやっておいて最も効果が大きいのは情報整理です。相手探しや価格の話より先に、会社や事業の中身を「見せられる状態」にしておくことが、その後の時間とトラブルを一番減らします。

なぜ情報整理が最優先なのか

買い手は、売り手が思う以上に細かい情報まで確認して判断します。売上の内訳、主要な取引先との契約、設備の状態、借入の条件など、一つひとつが「買ってよいか」「いくらなら買えるか」の材料になります。

代表やオーナーがすべてを記憶している必要はありません。ただ、求められたときにすぐ開示できる状態にしておくことが理想です。情報が少ないと、買い手は判断ができず、低く見積もるか、見送るしかなくなります。逆に、正確で網羅的な情報を出せて初めて、買い手は適正に判断でき、売り手も正当な評価を受けやすくなります。

M&Acompassの実務の視点

最終的な評価を決めるのは売り手ではなく交渉相手です。だからこそ、相手が判断しやすい材料を先にそろえることが、結果的に自分の評価を守る近道になります。「聞かれたら探す」ではなく「聞かれる前に整理してある」状態にしておくことが、M&Aを成功に近づける秘訣の一つだと考えています。

用意しておきたい資料のチェックリスト

整理しておきたい資料を分野ごとにまとめました。すべてをきれいにそろえる必要はなく、「どこにあるか」「ないならなぜないか」を答えられる状態が目標です。決算書や申告書は、直近3期分を求められるのが一般的です。

分野具体的な資料
財務・税務決算書・確定申告書、月次の売上と粗利、試算表
契約取引先との契約書、業務委託契約、リース契約、保証の有無
許認可営業に必要な許可・届出の控え、更新時期
人従業員の名簿、雇用契約書、給与・社会保険の状況、就業規則
借入・負債借入の明細と返済予定、代表者の個人保証の有無、オーナー貸付
設備・資産設備や車両の一覧、所有かリースか、修繕の履歴
不動産店舗・事務所の賃貸借契約書、敷金、更新時期、名義変更の可否
顧客・売上の中身主要な顧客の構成、売上の集中度、リピートの状況

契約書がない取引や、口頭で決めている条件は、内容を文章にして一覧にしておきましょう。「ない」ことより「ないのに説明できない」ことのほうが、買い手の不安を大きくします。

個人事業主が特に気をつける点

個人事業では、帳簿と私的な支出が混ざりやすいのが実情です。自宅兼事務所の家賃、車両の費用、家族への給与などが経費に入っていると、買い手は「事業そのものの利益」がいくらか分かりません。

対策は、事業に関する収支と生活に関する収支を分けて示すことです。帳簿を書き換えるのではなく、「買い手が引き継いだ場合には不要になる費用」「実際に事業に必要な費用」と注記した一覧を作るだけでも、買い手の見え方は変わります。

また、個人事業は契約や許認可が事業主個人の名義になっています。買い手にそのまま引き継げるものと、買い手が新たに手続きし直す必要があるものを分けて整理しておくと、引き継ぎの段階で慌てずに済みます。

譲渡価格の目安と希望価格の決め方

小さな会社の価格はどう見られるか

小さな会社や個人事業の価格は、「いま持っている財産」と「これから生む利益」の2つで見られます。代表的な考え方が年買法(ねんばいほう)です。年買法とは、時価純資産(資産から負債を引いた実際の価値)に、営業利益の数年分を足して価格の目安にする方法です。営業利益の何年分を足すかは、業種や規模、買い手の考え方で変わります。中小企業庁の中小M&Aガイドラインでは通常1〜3年分とされ、個人が買い手の小規模な案件では2〜3年分が上限の目安です。

売り手が見落としやすいのは、買い手が決算書の利益をそのまま使わない点です。オーナーの役員報酬や家族への給与、私的な経費を調整し、「買い手が引き継いだ後に残る利益」に直して見ます。この計算の手順と交渉での使い方は、M&Aの相場は利益の何倍?年買法と小さな会社の価格の見方・交渉で詳しく説明しています。

希望価格と買い手の価格がずれる原因

相談を受けていて、売り手の希望価格と買い手がつく価格に差が出る原因は、大きく2つに分かれます。

ずれの原因売り手の言い分買い手の受け止め方
実現可能性の低い成長機会を織り込む「資金があればもっと伸びる」「本当はこうしたい」できるなら今やっているはず。実際には利益が出ない前提で見る
私的な事情で価格を決める「今後の生活資金としてこれぐらいは欲しい」会社の価値とは関係がない金額なので根拠にならない

1つ目は、自分が他の事業で手一杯だったり資金が足りなかったりして、やればできるはずの成長を価格に乗せてしまうケースです。買い手から見ると、やっていない以上は「できない」か「言うとおりの利益にならない」と映り、敬遠されます。2つ目は、評価とは別の生活上の必要額を希望価格にしているケースです。どちらも売り手の気持ちは分かりますが、買い手がその金額を払う理由にはなりません。

価格は相手が決める:落としどころの見つけ方

価格や評価は、自分で決めるものではなく相手が決めるものです。売り手も買い手も、最初の希望ですぐに納得することは通常ありません。売り手は複数の買い手と話す中で、買い手は売り手との交渉を通じて、お互いが納得できる水準を見つけていきます。結果として理想に近い条件で売れることもあれば、そうでないこともあります。売り手にできるのは、相手の立場に立って魅力的な案件になるよう準備し、より良い相手を探し続けることです。

そのうえで、希望価格は2つに分けて考えると交渉がぶれにくくなります。

  • 最低ライン:これを下回るなら売らない、と決めておく価格。借入の返済や引退後の生活費など、自分の事情から決めて構いません。ただし相手には見せません
  • 交渉開始の価格:年買法などの目安をもとに、買い手に根拠を説明できる価格。ここから相手の指摘を受けて調整していきます

最低ラインが目安の価格を大きく上回るなら、売却ではなく別の選択肢も含めて考え直す合図になります。

M&Acompassの実務の視点

「もっと伸びるはず」という説明は、買い手を動かすどころか、話を遠ざけることが多いです。買い手に本当に伝わるのは、いま出ている利益と、その利益を裏付ける数字や記録です。成長の余地を伝えたいなら、「こうすれば伸びる」と語るより、小さくても実際に試した結果を示したほうが価格に反映されやすくなります。価格を決めるのは相手だからこそ、相手が判断しやすい材料をそろえることが、結果的に希望に近い価格への近道です。

相手の探し方:仲介会社・プラットフォーム・親族や従業員、取引先

小さな会社の売り先の探し方は、大きく3つあります。仲介会社に頼む、M&Aプラットフォームに自分で載せる、親族や従業員、取引先に譲る、の3つです。どれを選ぶかで、手間と費用、そして「最後に手元に残る現金」が大きく変わります。手残りだけで相手を決めるわけではありませんが、売り手の判断を左右する大きな要素であることは間違いありません。

3つの方法の比較

方法手間費用相手の範囲実現可能性
仲介会社に頼む少ない(進行は任せられる)大きい(成功報酬・最低報酬)広い(仲介会社の買い手網)高めだが、小規模案件は受けてもらえないこともある
プラットフォームに自分で載せる多い(情報整理・交渉を自分で)小さい(サービスにより異なる)広い(個人の買い手を含む)自分の知識と準備しだい
親族・従業員・取引先に譲る中くらい(相手は決まっているが手続きは自分で)小さい狭い(身近な相手のみ)相手の資金と意思しだい

小さな会社で仲介会社の費用が重くなる理由

仲介会社の多くは、成功報酬に「最低報酬」を設けています。大手の仲介会社では最低報酬が2,000万〜2,500万円程度のことが多く、大手以外でも数百万円〜2,000万円程度の最低報酬を設定しているところが多いです。譲渡価格が数百万円から数千万円の案件では、この費用を差し引くと手残りがごくわずかになります。場合によっては、計算上マイナスになることもあり得ます。だからこそ、年商数千万円以下の会社では、費用のかかりにくい方法が現実的になります。

プラットフォームに自分で載せる場合

M&Aプラットフォームは、売り手が案件情報を登録し、買い手からの問い合わせを待つ仕組みです。個人の買い手を含む広い範囲に案件が届く一方、資料の準備・問い合わせへの返答・条件交渉は自分で進めます。利用料や手数料の仕組みはサービスごとに違うので、登録前に公式情報で確かめてください。買い手側がどんな費用を負担しているかは、M&A手数料の仕組みを整理した記事で確認できます。相手の費用感を知っておくと、価格交渉の見通しが立てやすくなります。

親族や従業員、取引先に譲る場合

親族や従業員、取引先など身近な相手に譲る方法は、事業の中身や会社の事情を知っている相手なので、話が早く進みやすいのが利点です。ただし、次の3点には注意が必要です。

  • 資金の問題:親族や従業員、小さな取引先は、まとまった資金を持たないことが多いです。融資や分割払いを使う場合は、相手の資金計画を早めに確かめます
  • 関係が壊れたときの影響:交渉が途中で止まると、親族なら関係のこじれ、従業員なら退職、取引先なら取引の縮小につながるおそれがあります。打診は慎重に、条件の見通しが立ってから行います
  • 秘密保持:社内や取引先に話が広まると、ほかの従業員や顧客が不安になります。打診の前に秘密保持契約を結び、話す範囲を絞ります

自分で進めるときの負担と対策

プラットフォームや身近な相手への譲渡は、語弊を恐れずに言えば「プロに任せるか、自分でやるか」の違いです。費用を抑える代わりに、資料の準備から契約までを自分で進める負担が生じます。慣れていないと途中で止まり、M&Aの実現可能性が下がることもあります。対策としては、全体の流れを先に学ぶこと、契約書の作成など難しい部分だけ専門家に頼むことが考えられます。自分で進める知識があれば、実現可能性を保ちながら費用も抑えられます。

M&Acompassの実務の視点

年商数千万円以下の会社の売り手から相談を受けたとき、M&Acompassは、プラットフォームへの自分での掲載か、取引先・従業員への譲渡を現実的な選択肢として案内することが多いです。理由は、仲介会社の最低報酬を差し引くと、手元に残る現金が僅少になりやすいからです。ただし、これは「自分でM&Aのプロセスを回す」ことと引き換えです。費用だけで選ぶのではなく、自分で進められるか、どこを人に頼むかを先に決めることをすすめています。

事業譲渡と株式譲渡:小さな会社ではどちらになりやすいか

2つの方式の違い

会社や事業を譲る方法は、大きく「株式譲渡」と「事業譲渡」の2つです。株式譲渡は、会社の株式を買い手に渡し、会社ごと引き継いでもらう方法です。事業譲渡は、会社が持つ事業の一部または全部(設備、在庫、契約、顧客など)を選んで譲る方法です。どちらを選ぶかで、引き継ぎの手続きも、売り手の手取りも変わります。

個人事業の場合

個人事業には株式がありません。そのため、方式は事業譲渡になります。店舗の賃貸借契約、仕入先との取引、顧客、設備などを一つずつ買い手に引き継ぐ形です。契約の名義変更には相手先の同意が必要になることが多く、許認可も買い手が改めて取り直すのが基本です。引き継ぎの数が多いほど時間がかかるため、譲る対象を早めに一覧にしておくと進めやすくなります。

法人の場合に売り手が考えること

法人の場合は両方の方式を選べます。事業譲渡は、買い手が帳簿に載っていない債務(簿外債務)のリスクを比較的遮断しやすい方式です。一方、株式譲渡は手続きが比較的簡単で、会社をそのまま手放せる方式です。

税金も方式で異なります。株式譲渡では、株式を売った売り手個人の売却益に所得税などがかかります。事業譲渡では、売却益に対する法人税などを会社が負担し、譲る資産の一部は消費税の対象になります。手取りに直接影響するため、方式を決める前に税理士などの専門家へ相談してください。

引き継ぎ方の違いを表にまとめます。

項目株式譲渡事業譲渡
譲るもの会社そのもの(株式)選んだ資産・契約・顧客
取引先との契約原則そのまま続く(契約によっては通知や同意が要る)相手先の同意を得て個別に引き継ぐ
許認可会社に残る(業種によっては届出が要る)買い手が改めて取得することが多い
従業員雇用はそのまま続く従業員ごとの同意を得て転籍
簿外債務買い手が引き継ぐ原則として引き継がない
売り手側の税金個人の譲渡所得会社の法人税・消費税

上の表は一般的な整理で、契約の中身や業種によって扱いが変わります。株式譲渡の仕組みやメリット・デメリット、手続きの流れは、株式譲渡の基本とプロセスの解説記事で詳しく説明しています。

個人の買い手との交渉で話が壊れやすい場面

個人の買い手との交渉では、価格そのものより、その周辺の論点で話が止まることが少なくありません。売り手が「当然こうなる」と思っていた点ほど、買い手には見えていないことがあります。ここでは、よく論点になる場面と、売り手側でできる対策を整理します。

よく論点になる4つの場面と対策

場面買い手の不安売り手の対策
従業員の処遇雇用が続くか、条件を変えられるか、辞めてしまわないか雇用条件・勤続年数・本人の意向を一覧にする。従業員へ伝える時期と伝え方を買い手と相談して決める。
オーナーからの貸付金(役員借入金)買収後に返済を求められるか残高を確定し、免除するか引き継ぐかを価格とセットで決める。免除には税務上の影響が出るため、税理士に確認します。
賃貸契約(店舗・事務所)の引き継ぎ貸主の承諾が得られるか、家賃や保証金の条件が変わるか早めに貸主へ相談する。事業譲渡では貸主の同意や契約の結び直しが必要になることが多いです。
売り手の引き継ぎ期間どのくらい手伝ってもらえるか、取引先や常連客が離れないか期間と内容(週何日・何か月・何を教えるか)を具体的に提案する。

どの場面でも共通するのは、買い手が不安に思う点を先回りして書面と数字で示すことです。対策を用意していない論点は、交渉の場でそのまま「見送る理由」になります。

最も多いのは「情報が足りず判断できない」こと

実務では、特定の論点が原因で壊れるというより、売り手の姿勢の問題が大きいと感じています。買い手の判断に必要な情報は、できる限り提供すべきです。ところが、そもそも必要な情報を記録していなかったり、本来あるべき契約書がなかったりする会社は少なくありません。その結果、買い手は「判断できない」まま見送りを選びます。断られた理由が売り手に伝わらないため、同じことを次の買い手でも繰り返しがちです。

口約束でも契約は成り立ちますが、買い手は証拠のない取引条件を評価に入れられません。取引先との取り決めや従業員との条件で書面がないものは、今からでも覚書や契約書にしておくとよいでしょう。

M&Acompassの実務の視点

個人の買い手が見送る理由として多いのは「条件が合わない」より「分からない」です。売り手側で聞かれそうなことをあらかじめ書面にして出せる状態にしておくだけで、交渉が続く割合は変わります。出せない情報があるなら、「ない」と早めに伝えるほうが信頼につながります。

個人の買い手が重視すること

個人の買い手は、会社や投資家と違い、資金に限りがあり、本人がそのまま事業を引き継ぎます。そのため、価格の高低と同じくらい「自分が引き継いで回せるか」を重視します。引き継ぎの手順や、売り手がいなくても回る仕組みがどこまであるかを、具体的に示すと安心材料になります。

買い手が小さな案件をどう見ているかは、0円で会社を買う方法|0円譲渡の実態と見極め方でも解説しています。売り手が読んでも、買い手の目線を知る参考になります。

面談では、次の3点を自分の言葉で伝えることをおすすめします。

  • 売る理由:後継者不在や体力面など、正直な理由ほど買い手は納得しやすいです
  • 続けてほしいこと:屋号や取引先との関係など、譲れない点は最初に示します
  • 従業員への配慮:雇用を守ってほしい気持ちと、その現実的な条件を伝えます

これらは買い手にとって、引き継いだ後の姿を想像するための材料になります。隠したい事情ほど、後で分かると話が壊れやすい点にも注意が必要です。

契約から引き継ぎまでの注意点

最終契約は、交渉で決めた条件を書面にする場面です。小さな案件でも、ここを省略すると後のトラブルにつながります。引き継ぎまでを見通して、決めるべきことを押さえておきましょう。

最終契約で決める主な項目

項目決めること
価格と支払い方法金額、支払日、一括か分割か、手付金の有無
引き継ぎの期間と内容売り手がいつまで、何を手伝うか。その間の報酬の有無
表明保証売り手が開示した情報が事実であると保証する条項
競業避止売り手が同じ事業を一定期間・一定地域で行わない約束

表明保証(売り手が決算書や契約の内容を事実だと約束する条項)は、違反すると損害賠償を求められることがあります。開示した資料と食い違いがないか、契約前に見直しておきましょう。 競業避止は、事業譲渡では会社法に定めがあり、契約で別に期間や地域を定めることもできます。

引き継ぎで実際にやること

  • 顧客・取引先への挨拶(売り手が同行すると引き継ぎが進みやすくなります)
  • 従業員との面談(処遇を買い手と一緒に説明する)
  • ノウハウの文書化(仕入先、作業手順、価格表、各種のパスワードなど)
  • 口約束を書面にする(取引先との値引き、従業員との特別な条件など)

口約束でも契約は成り立ちますが、売り手が離れた後は内容を証明できなくなります。引き継ぎ期間中に文書にしておくと、買い手の不安も減ります。

税金・法律は専門家に相談する

売却後の手取りは、売り方で変わります。株式譲渡では売り手個人の売却益に所得税などがかかり、事業譲渡では会社が法人税などを負担し、資産の一部には消費税がかかります。個人事業主が事業を譲る場合は、譲る資産の種類によって所得の区分が分かれます。金額は状況で大きく変わるため、契約前に税理士に試算を依頼してください。 契約書の作成も、弁護士や司法書士など専門家の確認を受けましょう。小さな案件ほど自作のひな形で済ませがちですが、表明保証や競業避止の抜けは後から直せません。 売却を決めたら、早めに準備を始めてください。情報整理と相手探しには時間がかかり、契約と引き継ぎはその後に来る工程です。

参考にした資料